こんばんわ。Engineer Travellerです。
平成もあと残すところわずか三日。新たに始まる令和が良い時代になることをひとえに願っています。
先日ちょっと過去のプレスリリースを見る機会があり、飛行機をたくさん乗る前だったのでいろいろなことがあったんだなぁ~・・・・っていうのがいくつかあったので、平成の前半(大体 平成17年(2005年)まで)をプレスリリースから振り返るをお届けしたいと思います。
できればエアラインだけではなく、鉄道からも。。。。と思うのですが、書くのが間に合うのか…… ではまず第一回はANA編をいってみましょう
ボーイング7E7をローンチカスタマーとして発注!
将来の戦略機種として次世代中型機「B7E7シリーズ」の導入を決定(2004年4月26日)
将来の戦略機種として次世代中型機「B7E7シリーズ」の導入を決定(2004年4月26日)
ご存知ANAがローンチカスタマーとなった787ですが、これのプレスリリースが出たのは2004年(平成16年)になります。B7E7-3(国内線むけ)とB7E7-8(国際線向け)の合計50機を一括発注して、2008年度に導入する計画とのことでした。
ですが、ご存知の通り納入されたのは2011年と計画の3年遅れと
ボーイングとANA、787初号機のデリバリー式典を開催|プレスリリース|企業情報|ANA(2011年9月27日)
だいぶ遅くなったのは皆さまの方がよくご存じでしょう。加えて計画していたB7E7-3は発注するエアラインがJALとANAくらいしかいないので、設計には手がついていませんね。
加えてバッテリートラブルがあり一時運航停止したりと、現在の737MAXシリーズと同じように設計のトラブルはどうしても避けられないようです。
大阪・福岡・名古屋の中堅空港からの中距離海外路線に就航
現在は、羽田・成田のデュアルハブ戦略を打ち出しているANAですが、1999年(平成11年)前後は各地の空港からダイレクトに結ぶフライトを重視していたことがうかがえます。
大阪ーホノルル・デンパサール・ジャカルタ
福岡ーバンコク / 広島ーグアム
名古屋ーホノルルなど。。。。
「大阪-ホノルル線」の開設を申請(1999年12月)
「大阪~デンパサール線」の開設を申請(1998年10月)
「福岡~バンコク線」運航再開の申請(1997年8月)
全日空、「広島~グアム線」開設を申請(1997年2月)
全日空、2月1日より「名古屋~ホノルル線」就航(1997年1月)
今からみればツッコミどころ満載かもしれませんが、当時は各地からの需要があると判断していたんですね。広島~グアムでも767を運航していたので、結構大きな機材で動かしていたんですね。
この後、2001年のアメリカ多発テロや2003年のイラク攻撃を境に航空需要が縮小し、関空などの国際線が減る方向に変わっていき、成田における北米~東京~東南アジアの国際線乗継需要を重視していったのは皆さまご存知の通りです。
5月分国際線路便計画の一部変更について(2003年4月)
関西ーグアム便の減便・機材小型化について(2001年10月)
スターアライアンス加盟
修行の目的であるNH★Gを獲得すれば、加盟各社のラウンジも使用することができるようになりプラチナステータスの価値を増すきっかけになったスターアライアンス加盟は1999年(平成11年)です。
『スターアライアンス』加盟方針を決定(1998年10月)
スターアライアンスに正式加盟(文字化け)(1999年10月)
当時にしてみたら、こんな感じでプラチナステータスを取るためだけに搭乗してくれることは予想できなかったでしょうね。当時の社長に”修行”ってわかります??って聞いてみたいです。
また、
スターアライアンス加盟8社との提携を完了
というのもあり、現在28社あるスターアライアンスも当時は、ANAも含めて9社だったことがうかがえます。
まとめ
こうしてみると、いろいろなことが起きたANAの平成史。いいことも悪いことも両方あったようですが、
”令和はよい時代だった”
と後で語りたいですね。
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